「惨めさに対する耐性習得 4歳でポリオ」
KeePer技研会長兼CEO 谷 好通 氏
私、谷好通は1952(昭和27)年3月18日、大府市共和町で、地元の大きな機械製作工場に勤務する谷武と、刈谷市の農家出身の谷(旧姓=野村)えつの穏やかな家庭で生まれた。4歳の時、当時日本国中で猛威をふるっていたポリオ(脊椎性小児まひ)にかかった。小さな母が、4歳にしては大きな体の私を背負って、隣町の安城厚生病院に1年以上治療とリハビリに通った。そのおかげで私は左足の膝下の筋肉が無い、全体に萎縮しているだけで済んだ。
当然のことながら、小中高での徒競走やマラソンの類いは常にビリ。今で言えばいわゆる「かわいそうな子」だった。しかし、このころ、惨めさに対する強烈な耐性を習得し、どんなことがあっても平然としてめげない図太さが身に付いたものと想像する。また、小学校2年生の時には、そのころ住んでいた名古屋市南区で伊勢湾台風に遭って、九死に一生を得る経験もした。
名古屋市立南光中学校に入ってから、勉強はでき、1年生のテストでは毎回1学年450人中1桁に入る成績だった。ただ、そのせいで担任の若い先生からひいきされ、それに反発した同級生の一部から執拗(しつよう)ないじめに遭った。
反転攻勢は、3月の修了式の日だ。いじめっ子グループのリーダーだった不良的同級生を階段の踊り場に呼び出し、決闘に臨んだ。コテンパンにやっつけてやった。
決闘でいじめっ子が血を流したこともあって、私は先生からこっぴどく叱られてしまった。それ以来、学校の先生からの評判はひどいもので、いつも悪い意味で目を付けられる存在になってしまった。
もっとも、いじめっ子グループのリーダーとの決闘に勝ったことで逆に友達は増え、楽しい中学校生活に変貌した。決闘事件から、今の私の「優等生ではない」「良い子ではない」という資質が育まれたのかもしれない。
高校には進学したが、アルバイトで始めたガソリンスタンドでの仕事が面白くなってしまった。
私の最終学歴は高卒だ。
<プロフィル>
谷 好通(たに・よしみち)1971(昭和46)年、名古屋市立桜台高校卒。85年タニ設立。93年アイ・タック技研(KeePer技研の前身)設立と同時に社長。19年から会長兼CEO。大府市出身。72歳。
著者企業紹介
本社:愛知県大府市
1985年愛知県刈谷市で創業。「日本に新しい洗車文化を。」を経営ビジョンに掲げ新車の輝きを保ち汚れを防ぐコーティング剤「KeePer」開発。全国のガソリンスタンドやカーディーラー6千店舗以上で販売されている。2023年6月期の売上高は170億円。過去3年の売上高成長率が年平均25%と急成長している注目の企業だ。
