「国宝・犬山城を守り続けて」
公益財団法人犬山城白帝文庫理事長 成瀬 淳子 氏
木曽川沿いにそびえる高さ80メートル以上の丘陵に築かれた犬山城は、現存最古の望楼(ぼうろう)型天守を持つ国宝だ。望楼型天守というのは上層部と下層部の形が異なっていて、下層部の屋根の上に小さな物見櫓(やぐら)が載っている形の天守を言う。
2006(平成18)年には「日本100名城」に選定され、18(平成30)年には犬山城跡が国の史跡にも指定された。
そもそも犬山城は1537(天文6)年に織田信長の叔父、織田信康が築城したと伝えられている。その後、1617(元和3)年、尾張藩付家老だった成瀬正成が城主となった。さらに時代が下り、9代目の正肥(まさみつ)の時に明治時代を迎え、彼の時代から成瀬家は東京で暮らし始めている。
そして正成から数えて12代目に当たるのが、私の父・正俊だ。父は東京で生まれ育った。私が生まれたのも東京で、初めて犬山城を見たのは小学3年生の時だ。別名「白帝城」とも呼ばれる美しい天守の姿は無意識のうちに私の心の深くに染み込み、社会人として仕事に没頭する中でも、いつのまにかこの美しい国宝を守らなければいけないという気持ちが育っていった。
犬山城が国宝に指定されたのは1935(昭和10)年のことで、2004(平成16)年まで「個人所有の城」で「個人所有の国宝」だった。国宝の城を個人で所有していた成瀬家は、自分で言うのも何だか、ちょっと特殊な家だった。
そんなわが家のこと、私自身のことを振り返っていきたいと思う。
〈プロフィル〉
成瀬 淳子(なるせ じゅんこ) 1964(昭和39)年、12代目犬山城主・成瀬正俊の長女として東京に生まれる。中学校から昭和女子大学付属に通い、87(昭和62)年、同大学を卒業。印刷会社、広告代理店などで撮影コーディネーター、営業などを経験。2004(平成16)年、財団法人として犬山城白帝文庫を設立して理事長に就任。13(平成25)年に公益財団法人に認定される。