第1話「中部地方屈指の急成長企業」

大手半導体メーカー向けの半導体製造装置の保守や配管の施工管理、特殊ガスの供給などを担うジャパンマテリアル(JM)が誕生したのは、1997(平成9)年4月。2004年から本社を構える菰野町は三重県と滋賀県を隔てる鈴鹿山脈の東山麓にあり、湯の山温泉まで車で約15分という風光明媚(めいび)な地だ。
誕生から14年後の11年12月、東京証券取引所第二部と名古屋証券取引所第二部にそれぞれ上場(22年4月から、東証プライム市場、名証のプレミア市場に移行)。2年後の13年10月にはそれぞれ第一部に指定替えとなった。アイデアとアントレプレナーシップ(起業家魂)で飛躍できるIT企業なら、創業からまもない時期の上場も可能だと思うが、得意先の工場などで現場作業を行う数多くの人材を抱える企業としては、異例のスピード上場といえる。
加えて、証券会社や投資家の間で高い評価を得ているのは、上場後の成長だ。上場を目標に掲げ、上場を「到達点」と考え、上場後に成長が鈍化する新興企業は少なくないが、JMは上場後も引き続き高い成長率を維持しているからだ。
証券業界の用語で、テンバガー(TEN―BAGGER)という言葉がある。BAGGERは野球の塁打を意味する。1試合でホームラン、2塁打など10の塁打を放つような大活躍したバッターになぞらえ、株価が上場時に比べて10倍以上急騰した銘柄を意味する。一言で言えば、大化け株だ。JM株は名古屋銘柄では、典型的なテンバガーとして注目されている。
JMの上場時の株式時価総額は70億円だったが、24年6月末には2千億円以上に上昇している。もちろん業績も右肩上がり。上場時の売上高は80億円(11年3月期)だったが、24年3月期の売上高は485億円と、13年余りで6倍に増えた。
もちろん立役者は創業者の田中久男。7月13日、77歳の誕生日を迎える現役社長だ。栗田工業の伝説の営業マンから56歳で脱サラし、文字通り1代でJMグループを築いた。田中本人は「築いた」という過去形を嫌うだろう。今まさに日本の半導体産業の復権に人生をかけているからだ。 向こう半年間にわたって、JMの軌跡を紹介するが、第1章はJMの前史ともいえる田中久男の物語を田中自身に語ってもらう。(敬称略)