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ヨシックス 創業者
代表取締役会長兼CEO 吉岡 昌成 氏

全国に340店舗以上展開する名古屋の「や台やグループ」
創業者・吉岡昌成氏が自身の半生を綴ります

最終面の連載企画「マイウェイ」に11月2日から、ヨシックスの創業者で代表取締役会長兼CEOの吉岡昌成氏(66)が登場します。
たまたま毛皮を販売したことから商売のおもしろさにめざめ、建築会社を設立。
持ち帰り弁当会社の店舗建築を一任されたことが契機となり、大阪から名古屋へ移住するとともに、外食産業に参入し、試行錯誤を重ねて「や台や」「や台ずし」「ニパチ」などの人気店を展開してきました。
「100年企業」を目指した新たな挑戦も始まろうとしています。
いくつもの困難や危機を乗り越えていく、大阪人ならではのたくましい半生をつづっていただきます。ご期待ください。

や台ずし

著者略歴

吉岡 昌成(よしおか まさなり)

「や台や」「や台ずし」「二パチ」などを展開するヨシックスの創業者。1977(昭和52)年に大阪工業大学建築学科を卒業し、会社勤めを経て独立。建築業、飲食店経営の経験を積み、1998年から「や台や」、2000年から「や台ずし」の展開に乗り出す。66歳。大阪市出身。

第1話を先行配信!

代表取締役会長兼CEO 吉岡昌成

第1話「自ら〝種〟見つけ打ち込む」

私の父は、大阪市生野区巽中1丁目(昔は巽西足代町)で町工場を営んでいた。典型的な家内工業で、1階が工場、2階が住まいになっていた。

「巽」地区は大阪市の東の外れ、東大阪市に近い所に位置し、今でも住宅と工場が共存している地域である。戦前の父は、大阪環状線内の都心部に住んでいたが、この地に疎開し、そのまま住み続けることになった。

工場に関して鮮明に残っているもっとも古い記憶は、大流行した「だっこちゃん」である。空気でふくらませる黒いビニール製の人形で、抱きつけるように両手、両足が丸くカーブしており、腕につけて歩いたりするのがブームになった。

発売されたのは1960(昭和35)年4月。私は1954(昭和29)年7月18日生まれなので、6歳の時のことである。

いつの時代でも繰り返されることだが、ブームはやがて去っていく。爆発的なブームほど冷めるのも早い。だっこちゃん人形のブームも去って、父の手元に残ったのは借金とビニール製の人形を製造するための機械だった。

そこで父はこの機械を売却し、工業用ミシンを購入して、アメリカへ輸出するためのノベルティー用の袋物の製造を開始した。家内工業なので、家族は好きも嫌いもなく仕事に携わることになる。

私は末っ子で、姉が3人、兄が1人いたが、姉は早くから家の手伝いをしていた。姉や兄が働いていれば、当然、最年少の私も仕事にかり出されることになる。袋物を裏返して内側の余分な部分を切り取るような作業は、経験も技術もない子どもの私にもできた。

この仕事が私は嫌いだった。手伝いたくなかったし、継ぎたいとも思わなかったので、父とは別の仕事をするために、工業高校では機械科へ進んだ。

家業は継がなかったが、私は父から受け継いだものがあった。商売の種を自ら見つけて打ち込む商売人の血であり、いずれは自分も商売を始めるようになるだろうと、子どもの頃から漠然と思っていた。

家事が商いという環境の中で育ってきたので、そもそもサラリーマンとしての生き方や考え方が理解できなかったのだ。

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