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企業立地特集

中部から新時代の旗手へ 東海東京の歩み 和佐田 真 (1) 東海東京証券誕生 激動の時代に生まれた東海東京証券

東海東京証券のシンボルマーク。「お客様のあらゆるニーズをしっかり手を広げて受け止めお応えする」企業姿勢を表している
東海東京証券のシンボルマーク。「お客様のあらゆるニーズをしっかり手を広げて受け止めお応えする」企業姿勢を表している

 1986年、イギリスのサッチャー政権下で証券取引所の大改革が行われ、世界中から資金が集まり、市場競争が活発化した。世に言う”ビッグバン”である。この出来事から遅れること10年、日本では当時の第2次橋本内閣が「2001年までにニューヨークやロンドンに並ぶ国際市場としての再生を目指す」と宣言し、金融制度改革に踏み切った。
 この”日本版ビッグバン”の中核を成していた施策が、株式売買委託手数料の完全自由化だ。施策の導入を皮切りに、証券会社は1360兆円といわれる個人の金融資産を巡って、待ったなしの争奪戦へと駆り出されたのである。激動と言い切れる時代の中、どの証券会社も生き抜くための突破口を必死に探しただろう。もちろん、東海銀行グループの東海丸万証券と日興証券系列の東京証券も例外ではなかった。
 東海丸万証券は、1996年に東海証券と丸万証券が合併して誕生した。その後、経営破綻した山一證券と三洋証券の人材と店舗を受け入れるという賭けに出て、多国籍軍をつくり上げた。一方、東京証券も1960年代から合併を続け、東海丸万証券に負けない多国籍軍。この両社が手を取り合うことになったのは、「銀行の力添えではないか」という証言もある。
 実は、東海丸万証券を率いた奥村雅英氏と東京証券を率いた副島忠雄氏は、ともに慶応義塾大学出身。この出自が縁を結ぶきっかけとなったのかは定かではないが、ふたりが出会って意気投合するには時間はかからなかったという。後に副島氏は、2000年に発行された東海東京証券の広報誌で「この方なら信頼できる。この方の会社と合併できるなら、飛躍の夢が実現できる」と語っている。
 7月中旬の日曜夜9時に放送された人気ドラマで「合併は、食うか食われるかだ」というセリフが飛び出していたが、奥村氏の考える合併は、ドラマのように主導権の奪い合いを主張するようなものでは決してなかった。互いの足りない部分を補い合い、より強い体質へとリボーンする「補完型」の合併こそが理想だったのだ。奥村氏は、副島氏との会談で両社の合併は理想を具現化できるものであると判断。ふたりは出会いから相思相愛の関係となり、2000年10月1日に「東海東京証券」が誕生。会長に副島氏が、社長には奥村氏がそれぞれ就任した。そして、翌日の合併記念式典の訓示で、奥村社長は「日本で最も志の高い証券会社を創るための出発であります」と、声高らかに宣言したのである。

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